MONOろ〜ぐ

〜音の記憶と記録を思いつくまま•••

ぬらりひょん

日航機事故の時伊豆で一緒だった高校の同期のM君、高校時代はチューリップのコピーバンドを組んでいた。

 

元々はビートルズ大好きで、半々くらいで演ってたのかな。

 

彼らのグループも我々と同様、卒業後は自然消滅みたいになり、新たに我々と彼らの中の有志+αでバンドを組んで活動した時期があった。

 

年に1回は自分たちが主催•企画して、わりと大き目のホール(成城の砧会館だったり狛江の福祉会館だったり)を借りて出演者を募ってライブをやったりもした。

 

オフコースやったり甲斐バンドをやったり、女の子のグループのバックバンドをやったりもした。

 

社会人になり、そのバンドも活動しなくなったのだが、そのバンド名が「ぬらりひょん」だった。

 

そう、妖怪の名前である。

 

何でその名前にしたのかは途中から参加した私は知らない。

 

何年か付き合いが途絶えた後、久しぶりにM君に会うと、メンバーを変えその「ぬらりひょん」が復活していた。

 

誘われるまま私も参加。

 

暇な休日にだけ集まってスタジオ練習する日曜バンドだったが、それはそれで楽しかった。

 

今度は女性ボーカルを入れていたのでレベッカ、プリプリ、松田聖子小林明子ユーミンやサザンなど、さらに幅を広げていった。

 

その後M君は結婚を機に沖縄に移住し、週明けに飛行機で東京に飛んできて週末まで実家から通い、週末に飛んで帰るという超ハードな生活を送っていたのだが、そんな無理がたたったのか、40代半ばで逝ってしまってもう10数年か•••

 

斉藤ルミ子さんの「赤いスイートピー」を聴きながら思わずバックコーラスを重ねる自分がいた。